スーパーレジーナもイタリアらしいのだが、よりイタリアらしいと思うのがこのマリオ・ベリーニの412キャブだと思う。
イタリア・ローマに観光で訪れたのが素手の25年も前となる。自分の卒業旅行として、学生相手のパックツアーで行ったのである。参加した他の学生さんは、もちろん観光と買い物が目的。こっっちはチョイとひねくれていて、建築見学が目的である。それだから、今でもローマの建築は、鮮明に覚えている。僕が特に印象的だったのは、クワトロ・フォンターネとテンピエットかな。
とはいえ、建築単体をいているわけでもなく、イタリア、ローマの文化的雰囲気を肌で感じたのは、一緒のツアー学生さんと一緒であろう。
そんな建築とは関係なく、印象的だったのは、二つあった。
ひとつは、フェラーリの赤が、イタリアの石の町並みに、すごーく似合っていること。日本では、白ばかりだけど、ローマの石の町並みには赤がぴったりだ。特にフェラーリの赤はなんともいいい。
もうひとつは、茶色の革ジャンに紫のマフラー、って感じの、着こなしが、結構いて。また、それがローマの町並みとお似合いなのだ。そういえば、大学時代、指導教授の加藤隆先生が、「今はちょっと違うが、ちょっと前は」といいながら、「僕は、茶色を着るけど、日本じゃ紺かグレーばかり、イタリアじゃ、茶色を結構着るんだよね!」って。先生は都市計画な先生で、フランスにも留学していたらしい。講義じゃ話が、拡散してばっかりで、とイメージがるにですが、なぜかこんな話が頭に残っている。革ジャンにしても、その少し後、バブルの時代結構はやって、みんなが着ていたけど、大体が黒だったんじゃないかな。僕の旅行当時でも、革ジャンを見ると、黒ばかりではなく、いろいろな色が店頭に並んでいた。そんな中でも、色とりどりの茶色が幅を占めていたように思う。色な話になったが、多くの人が、皮も着こなしている感じがした。だって、革製品って言えばイタリアって感じがするし、代表格がグッチ。(ルイ・ヴィトン、エルメスも、といきたいところですが、こちらがフランスでした。恥ずかしながら・・わかってなかった!!”)
ここまで話すと、もうお察しのとおり、皮で包まれたこの椅子、それも茶色の皮の似合うこの椅子が、やっぱり、イタリアらしいと思うのである。
ところで、この椅子の構造を知っておくと面白い。
下の写真を見ると一目瞭然。スチール製の骨を、皮で全体をすっぽり、包み込んでいるのである。
例によって、押野見邦英氏の「インテリアウォッチング」を見てみた。イタリアファッションになぞらえて、コルセットから開放したマドレーヌ・ヴィオネの潮流が、椅子で言えば、ミースやコルビジェのスチールパイプと皮の椅子であり、ベリーニのキャプは、ベルサーチのシャツが、肩から袖にかけて一枚仕立ての皮膚感覚のつくりである、といっている。
僕から見れば、マドレーヌ・ヴィオネが、女性の肉体のラインを生かしつつ、単純に1枚の布で包んだように、マドレーヌ・ヴィオネのイメージそのものが、マリオ・ベリーニの412キャブのようにも見える。
いや、「あの胸にもういちど(1968)-THE...
巨匠の作ったがちがちのモダンデザインの椅子の紹介が続いているので、ここでイタリアンデザインの椅子を紹介したい。
SUPERLEGGERA スーパーレジェーラ チェア
。
建築家のジオ・ポンティーの作品である。
僕が建築家のジオ・ポンティーを知ったのが「ピレッリ・ビル Palazzo Pirelli 」。今でも美しい。印象的なフォルムは、「富士フイルム西麻布ビル」を見れば、芦原 義信大先生もぱっくった!と思ったり。最近では日本航空本社ビルがニュースで流れるとつい思い出してしまう。
調べると、1959年完成しているから随分古い。 また、2002年航空機が衝突し、ひどく破損したが、美しく改修したらしい。サッシなども取り外してメッキし直し、再び取り付ける念の入れ方らしい。
日本の高層ビルでは赤坂プリンスホテルが取り壊されようとしている。1983年完成開業で丹下健三氏の設計。丹下氏が大阪万博以後中東の王国での設計を中心に活動していたが、日本に舞い戻ってきてはじめての作品ではなかったかと思う。一階の紫の絨毯にビアンコ・カラーラという真っ白な大理石は、学生ながらに鮮烈であったし、雁行の客室プランニングも特異で、エロチック(これは僕だけか。)政治家や芸能人のパーティーにも良く使われているから、社会的価値もあるように思うのだが・・
そんな日本とはちがい、1960年、僕が生まれる1年前の高層ビルが、愛され使われるのであるから、日本とイタリアは大違いである。
「ピレッリ・ビル」は構造的にも美しいとされる。構造設計家ピエール・ルイジ・ネルヴィによるだけでなく、この断面図は印象的だ。僕は「建築デザインの原点
」で目にしている。重力と風圧力に抗するため、かつ最小限の材料で実現するため、上は細く下に行くほど太くなっている。姉歯事件では、「上から下目で同一断面で工事費の合理化を図る」なんて馬鹿みたいなことに騙されるアホな建築関係者いたけど、こちらの断面が正解である。しかしこの断面は下が太すぎて、部屋がないのではないか?などと思ってしまう。
しかし、よく見ると、平面の短辺方向の柱部分の断面であり、長辺方向には十分な空間が確保されている。内部からはカーテンウォール越しに外部を見放せる開放的空間が実現されている。この断面図に描かれた柱は、まさに帆船の帆を想像すれば納得がいくのではないだろうか。非常に合理的で美しい構造計画に見えてくる。
ところで、「SUPERLEGGERA...
LC4 CHAISE LONGUE
カッシーナ社製 (黒皮)
エロスを感じる、最もコルビジェらしい椅子だと思う。
この曲線に、スチールと皮の対比、グラマラスな女性が寝そべるのを想像してしまう寝椅子。いかにもヘルムートニュートンの写真に似合いそうではないか。
前に、コルビジェの椅子がル・コルビュジエ全作品集〈第1巻〉 (1979年)に出てくるのは、Ville d'Avray1928/29と書いたが、よく見るとその45ぺージほど前の1927年に「家具および住宅の装備」としていページで、LC1とこのLC4 CHAISE LONGUE
が紹介されている。中でもLC4 CHAISE LONGUE
が中心的存在として掲載されているから、コルビジェのお気に入りだったのではなかろうか。
大きく掲載された写真にはLC4...
LC1
に続く、コルビジェの代表的ソファーLC2
。
ところで、前のLC1
で、「コルビジェ全集を紐解いてみると、はじめて出てくるのが1928-29年のVille d'Avreyのインテリアに出てくる。」と書いたが、もう少し前、シュツットガルト集合住宅の後p143ページに「家具及び住宅の装備」として掲載されており「居間・ラロシュ邸」と題して、写真が掲載されている。しかし、コルビジェの実際の建築に現れるのは、やはり、1928-29年のVille d'Avreyからである。そして、これらの家具が現れるまでは、トーネットの椅子、スチールの棒で構成されたガーデンチェアがほとんどである。ソファは、ひとりがけの何の変哲もない、ソファーが、ほんの数箇所に開催されているだけである。建築の中に家具の存在感を、あまり、与えたくなかったのではなかろうか。また、LC1,LC4CHAISE...